「寒ッ・・・・」
目の前を何かがチラチラと落ちていく。ゆっくり光をさえぎりながら・・・・
俺は空を見上げた。
「雪かよ」
毒づきながら舌を打ち、手にした線香花火に再び目をおとす。
２月１９日、午後１０時。
去年と、一昨年と、そのもっと前の年とも同じように線香花火の上げる煙は天高く、ずっとその先まで昇っていく。
私立入試の結果が発表され、その報告のために俺は意気揚々と学校へ出向いた。
要するに俺は合格したわけだ。これで晴れて春からは大学生だ。
まさか現役で大学生になれるとは思わなかったので、親も大喜びだ。
まさに「たなボタ」ってやつ。
職員室に行って担任に話すと、担任も喜んでくれた。
「休み中、アホなことすんなよ」と、釘をさされ、俺は苦笑して退室した。
そうだ。他に誰か来ているかもしれない。
俺はふいにそう思って、屋上への階段を昇り始めた。
屋上は俺らの溜まり場だ。
俺らはこの高校じゃ成績が悪かった。
いわゆるダメ仲間ってヤツだ。ダメなりに頑張ったりもしているが落ちこぼれであることに変わりはなかった。
高校自体は一応進学校で、ここの生徒だと言えば、その辺のおばちゃんは「賢い」と勘違いする。
森は真面目で努力家だ。でも、空回りしているんだろう。だから俺らの仲間になった。
じゃがは、いつもジャガリコを食べてる。のんびりマイペースだからハイペースな授業にはついていけない。
そして俺はやる気がない上に目標が低く、自分に甘んじるから成績も一向に上がらない。
親も期待していないから楽なもんだ。
あともう一人。俺らには仲間がいる。こいつは別に落ちこぼれじゃない。学年ベスト１０入りしているような秀才くんだ。だから、あだ名は「秀」。でも、何故か俺らと同類なオーラを少しだけ出していた気がする。
なんで俺らとつるむのかはわからないが、勉強ばっかりしているのはツライらしい。たぶん、寂しがり屋なんだろう。
テスト前には本当にお世話になっていた。
１，２年が授業をしているのを横目に、俺は階段を昇っていく。
本日は快晴。日の光が暖かかった。あと十日もすれば卒業式だ。三年になったときは、卒業も危ういかと思ったが、それもなんとかなった。問題ない。春には大学生になるんだ。
窓にニヤケた自分の顔が映る。
他に誰も見ていないのに、なんだか恥ずかしくなって照れ笑いをする。
と、窓の外を上から下に何か大きなものが通り過ぎた。
好奇心から窓に近寄るがよく見えない。
俺は窓を開けて身を乗り出した。
下には大きな赤い花が咲いていた。
--------------------違う！
目を凝らして、地面をよく見る。
その花の真ん中に人らしき形が見えた。
理解するのには時間を要した。
どれくらい口を開けたまま眺めていたのだろうか。
口から唾液が滴り落ちて、俺は我に返った。
血だ。花じゃない、血だ。誰かが落ちたんだ。自殺？事故？誰？この上は屋上。俺らの溜まり場。森。じゃが。秀。俺。
誰だ？誰なんだ？
誰か死んだ。
俺は屋上へ駆け上っていた。勢い良く扉を開けたが、そこには誰もいなかった。
俺は今度は階段を駆け下りた。
先生に、先生に言わないと、「誰かが死んだ」
騒ぎを聞きつけた生徒が群がっていた。何人かの教師が昇降口へ向かう。
俺の足も昇降口へと向かっていた。
上履きのまま俺は走っていた。
誰だ？
邪魔な生徒を掻き分け中心に向かう。誰かの足を踏んだらしく「なにすんだよ！」という声が聞こえた。
教師は生徒を中心から離そうとしていた。
誰なんだ？
「教室に戻りなさい！」
担任の声だった。
俺は中心にたどり着いた。
誰が死んだんだ？
俺の上履きの底が、赤い液体に触れた瞬間。
その赤い液体は接着剤のように俺の足ごと上履きを地面にくっつけた。
「下がりなさい！」
また声が聞こえた。
駄目なんだよ先生！頭でどんなに下がろうと思っても足がくっついて動かないんだ！
顔は分からなかった。学ランについた名札が見えた。
吐き気がした。足は動かない。
俺はその場にしゃがみこんで、どろどろした、しかし鮮やかな赤い血液の上に嘔吐した。
胃液で喉が焼け付くように痛い。涙が出た。
口は右手で押さえていたが、指の間から嘔吐物は漏れ出ていた。
秀だった。
森とじゃがは学校に来ていなかったらしい。
秀の部屋から遺書が発見されて、自殺と断定された。
今ごろは御通夜だ。
俺ら三人は参列しなかった。秀が俺らと仲が良かったのはあまり知られていなかったし、クラスも違ったからだ。
俺らは、学校の近くの公園にいた。
皆呆然としていた。信じられないことだった。
どれくらいたった頃だっただろうか。じゃがが口を開いた。
「秀。私立、落ちたんだって・・・・・。」
「俺だって落ちた。」
森が返す。
じゃがは少し戸惑ってから、また話を続けた。
「秀の親、二人ともすごい、いい大学出てるんだって、あとお兄さんも。だから、たぶん・・・・」
学校では優秀なあいつも家では落ちこぼれだった。じゃがはそう言いたかったのだろう。
「秀の受けた大学なら浪人したっておかしくないんだ。俺が受けたところとは比べ物にならないくらいすげぇ大学なんだ。受験落ちたからって・・・・自分まで落ちることないだろ！畜生・・・・」
森がわめきたてる。
「いいよな。タカは受かったんだから・・・・・」
続いた森の言葉に俺は立ち上がった。
「何だよ！その言い方・・・・俺が何もしないで受かったみたいなこと言うなよ！俺が受かったのは俺が頑張ったからだ！だいたい森、お前それ今言うことじゃないだろ！！」
森も立ち上がった。
「俺は頑張った！タカなんかよりずっと頑張ってたんだ！」
「お前が知らないだけで俺だって頑張ってたんだよ！」
ムキになる森にムキになって言い返す俺。
じゃがは下を向いていた。
「・・・・・でも、秀はもっと頑張ってたよね。」
じゃがの台詞が痛いほど肌にしみる。
森も同じ気持ちだっただろう。
秀は頑張っていた。それは俺らが一番良く知っている。
先生よりも、秀の親よりも。
森は乱暴に腰を下ろす。
俺は立ったまま下を向いて小さくつぶやいた。
「やっぱ・・・・線香ぐらい上げてやるべきかな。仲間として・・・」
「行けるわけないだろ。俺達みたいな落ちこぼれが。」
森が反論する。
「分かってる。でも、何もしないのも友達がいがないと思って・・・・」
俺も森の意見には賛成だ。ただ、何かしてやりたかった。友として、仲間として。
「ああ！！」
じゃがが大きな声を出す。
「ちょっと待ってて、家からいいものとってくる！」
何か飛び切りいいことを思いついた顔をして、じゃがは俺と森をおいて公園を飛び出していった。
「おい！」「じゃが！」
俺らの呼びかけにも応えずにじゃがは走っていった。
俺は森を見ていた。森も俺を見ていた。
そして二人してため息をつく。
「十分もしたら戻ってくるだろ。」
半ばあきらめた様子で言う森。
冬の冷たい刺すような風が吹いた。
「なぁ・・・・」
「ん？」
俺の声に森が応える。
「なんで、秀は死んだんだろうな。」
森は空を仰いだ。
「そんなの、俺達落ちこぼれに分かるわけないだろ。」
はたしてそうだろうか。落ちこぼれだからこそ、分かることもあるんじゃないだろうか。
冬の空は澄んでいる、星も良く見える。星座は全然わからない。
死んだらどこへ行くんだろうか。
「秀は・・・・星になったのかな？」
なんとなく思ったことを口に出す。馬鹿にされるのは分かっていた。
「はぁ？！」
ほら、森の非難の声。別にいいさ、分かっていたことだ。
森はしばらく俺を見つめてそれから視線を地面に向けた。
「・・・・・そう、かもな。」
俺は眉を寄せた。
まさか森がこんなことを言うとは・・・・。
「そういや,じゃがって受験どうなってんだ？」
ふと気になり森に尋ねる。
「あ？お前知らなかったっけ。じゃがは就職。」
「マジで？！よくこの学校で就職なんかできたなぁ。」
「親戚のコネだってよ。」
「へぇ・・・・」
俺はなんだか意外だと思った。じゃがが就職。
「・・・・森は・・・・どうするんだ？」
森の眉がぴくりと動いた。怒らせただろうか。
「・・・・俺は・・・・・。まぁ後期もあるし、もう少し頑張るさ。無理だったら浪人する。親は構わないって言ってるし。」
後期・・・・秀もまだ試験があったのではないだろうか。
あいつのことだから国立の前期と後期ぐらいあっただろう。
とても無理だと思ったのだろうか。
やはり、俺らには理解できないことなのだろうか。
じゃがが帰ってきた。自信満々にかばんの中から袋を出す。
「ほら、線香花火！」
俺と森は、また顔を見合わせた。
俺はポケットからライターをだす。別にタバコは吸わないがなんとなく格好いいので買ったものだ。
「やるか、これなら空に届きそうだし。」
誰ともなく言って、火をつける。
「おい、じゃが。これいつのだ？」
森の質問にじゃがが少し考えてから答えた。
「去年の夏の残り。」
「大丈夫かよ！しけってないだろうな。」
「大丈夫だって。・・・・・たぶん」
じゃがはちゃんとバケツも持ってきていた。
公園の水道をひねってバケツに入れる。
線香花火はパチパチと音をたて、火花を大きくしたり小さくしたりしながら短くなっていく。
煙が立ち昇りしばらくすると地面にポトリと落ちた。
秀。
美しく、でも力いっぱい輝き咲いて燃え尽きる。
子どもの頃、人のにくっつけて先っちょを大きくして遊んだっけ。
でも、あれやるとすぐ落ちるんだよな。
秀は大きくなりすぎた。周りがいだく期待が秀を大きくしていって、秀は重さに耐えられなくなって落ちたんだ。
「俺達ゃ線香花火だ。きれいに咲いて、死ぬときゃ潔くいこうぜ。」
突然、森が言った。
「最後まで燃えなきゃもったいないよね。」
今度はじゃがが言う。
「湿気らせたりしないように。燃えていよう。」
俺は言って空を見上げた。この立ち昇る細い煙が俺らの生きている証。
秀にもきっと届くだろう。
バケツの水面に映る線香花火は綺麗だった。
水面に円状の波紋が広がる。
皆の頬に涙が伝っていた。
秀。最後にお前が見せたのは、あれは血じゃなくて花だったのか？
まだ、咲いている最中だったはずのお前の中に咲く花だったのか？
俺は線香花火を眺めていた。
おそらく何処かで、森とじゃがも同じことをしているだろう。
「あーもう！雪降ってるじゃない。早く中に入らないと風邪ひくよ。」
家の中から妻が出てきた。
「んー。これ終わったら。」
大きなため息が聞こえる。
「また、花火？仕方ないわねぇ。それが終わったら入ってきてよ。」
「わかった、わかった。」
俺は適当に返事をする。ドアの閉まる音がした。
あれから何年たったのだろうか。
俺はもうすぐ父親になる。
-fin-