day9 : 開封サイド

目を覚ますと、夢の中にいるような不思議な感覚に襲われた。
目の前にあるものは、ひどく懐かしいが、記憶が遠すぎて知らない場所のようにしか感じない。
自分がいたのは、１０年以上も帰っていなかった自分の家だった。
見回すと、昨日、思わぬところで出会ったフィレーンが眠っていた。
列車に乗っていた時と同じ、変わらぬ寝顔で横たわっている。
開封は布団から出ると、顔を洗い服に着替えた。
台所では、母が朝食の用意をしていた。
「おはよう。」
そっけない開封の声に母親は手を止めて振り返った。
「おはよう。」
やわらかい声が耳に懐かしい。しかし、母はいつからこんな力のない声で話すようになったのだろうか。
開封にはわからなかった。妹が嫁いだ頃からなのだろうか。それとも、自分が家を飛び出した頃だろうか。
わからないが、それは別に開封にはどうでもいいことだった。
子どもは巣立っていく。そういうものだ。どんな形であっても、親はそれを受け入れる以外ない。
「私は朝食いらないから。フィレーンさんのぶんだけお願いします。」
「・・・・そう。」
開封は、言い終えるとすぐに玄関に向かった。
開封は外に出て、歩き始めてから、いつもより歩調が早いことに気づいた。
何を焦っているのだろうか。
こんなところで早く歩いても意味がないのに。いくら焦ったって何も変わらないのに。
しばらく歩き続けていた開封の足が花屋の前で止まった。
店頭に飾ってある白い花が目に留まる。墓に供える花としては場違いだ。
そんなことも思ったが、開封はその花をずっと見ていた。
自分が彼女にあげるなら、こんな花がいい気がする。透けるような白と、滑らかな花弁のライン。
こざっぱりとしているが、そのぶん純粋で誠実そうだ。
（花なんて、ガラじゃないか・・・・。）
なんとなく、彼女に笑われそうな気がする。カラカラと笑う彼女を想像して少し恥ずかしくなる。
「いらっしゃいませ。何をお探しですか？」
急に店員に声をかけられビクリとする。
「あ、いえ、あの・・・・えと・・・・・これ、花束にしてもらえますか？」
焦って一瞬言葉がでなかったが、何とか持ち直して照れ笑いをしながら店員に頼む。
「あ、はい。かしこまりました。」
何故焦ったのかわからない店員は、少し不思議そうな顔をしながら白い花を持って店の奥に戻っていった。
奥から小さな声でさっきの店員とおばさんの声がしていた。
「・・・開封くんじゃ・・・の？波さん・・・の」
「かなぁ？なんかそんな・・・・・るけど。」
途切れ途切れで聴こえる会話。開封はそれを右から左へ聞き流し、空を眺めていた。
飛んでいる一羽の小鳥を目で追って、輪廻転生は実際起こりうるのかを考える。
起こったとしても前世の記憶がないのなら意味がないのではないだろうか。
もし仮に記憶が残っていたとして、それは幸せだろうか。親はどう思う？その人の知り合いはどう思う？
きっと世の中はぐちゃぐちゃになってしまうのだろう。
人の記憶を持った小鳥。小鳥の記憶を持った人。
何の意味もない。伝えたいことを伝える手段もない。
「こちらでよろしかったでしょうか？」
店員がおずおずと開封に花束を差し出した。
「ええ。ありがとうございます。」
開封は礼を言うと、会計を済ませて花屋を後にした。
そして、また歩き出す。
今度は民家の前で立ち止まり、一つ深呼吸をしてから呼び鈴を鳴らす。
声がして、中から開封の母と同じくらいの年齢の女性が出てきた。
女性は戸を開け、開封の顔を見たとたんに「あ」と声を出した。
「開封くん？」
「はい。おひさしぶりです。」
開封が答えると、女性の頬を一筋の涙が伝っていった。
「あ・・・ごめんなさい。あなたを見たら煌のこと思い出してしまって・・・・久しぶりね。大きくなって・・・・」
やさしい笑顔だ。開封は花束をあげるはずだった彼女の笑顔を思い出していた。
親子だから似ているのは当たり前だ。
「もっと早く帰ってこれば良かったんですが・・・・お恥ずかしい話ですが、怖くて帰って来れませんでした。」
少し照れたような笑顔を彼女の母親に向け、開封はそれ以上言葉がでなかった。
「そう・・・・・でも、帰ってきてくれて嬉しいわ。お墓には行った？」
「いえ・・・・場所を知らないので、それを聞きに来ました。」
女性は、開封がなんとか振り絞った言葉に頷いてから、場所を教えてくれた。
一通り場所を教え終わるころ、彼女の母は開封の持っている花束に気づいた。
「それ・・・・・」
開封は言われて慌てて花束を自分の後ろに隠した。
「あ、いえ、えっと、その・・・・・お墓に供えるものじゃないのはわかってるんですが、その・・・」
「ありがとう」
焦った開封を咎めることはせず、彼女の母は笑顔で一言礼を言っただけだった。
「・・・・ありがとうございました。」
開封はお墓の場所を教えてくれたことに礼を言うと、彼女の家を後にして、自分の家に向かった。
彼女に伝えられることには何があるだろうか。
昔伝えようと思ったこと。今も想っていること。今の自分。
フィレーンはもう起きただろうか。まだ、寝ているような気もする。
寝ているようなら、一人でいけばいいことなのだがフィレーンと一緒に行くのもいいかもしれない。
今の自分が幸せだという証拠。
「ただいま」
開封は家に入ると、台所に向かった。
食卓にフィレーンと母がいた。
「あ、フィレーンさん。起きたんですか。」
「あ、うん。おはよう。」
フィレーンの声には、いつもほどの威勢がない。
ふと、フィレーンの目が開封の手元に移る。
「・・・その花束、何？」
フィレーンに言われて、開封は意表をつかれたような顔をした。
「あ・・・・ああ。これですか？」
開封は花束を見て、少し考え込んだ。
どう答えるのが適切なのだろうか。墓に供えるなんて言えない。
短い黙考の後、開封は花束を見たまま小さな声で答えた。
「ある人に、届けようと思いまして・・・」
「誰？」
続いたフィレーンの質問に開封は小さく笑った。興味があるのなら、やはりフィレーンも連れて行こう。
開封はその微笑をフィレーンに向けた。
「これから行くので、フィレーンさんも一緒に行きましょうか。」
「え、いいの？！」
誘ったとたんに、大きな声でフィレーンが聞き返してきたので開封は驚いて目を瞬いた。
何故、こんなにフィレーンが意外そうな顔をしているのかわからない。
「？いいですよ。たぶん、その方があの人も喜びますし。」
「なななななんで？」
いつもではありえないほど、困惑しているフィレーンの質問に開封も困る。
「いえ、なんでと言われても・・・。なんとなく、そんな気がしたからとしか言いようがないのですが。」
フィレーンの頭の上に疑問符が浮かんでいるのを眺めてから、開封は母親に話しかけた。
「これから、煌のお墓参りに行ってくるから。」
母は開封の言葉に目を丸くしていた。そして、何も言わずに頷く。
それを確認してから、開封は今度はフィレーンに話しかける。
「準備ができているなら行きますけど、大丈夫ですか？」
「え、あ、うん。」
「じゃあ、行きましょうか」
フィレーンがすぐに答えたので、開封はすぐに玄関に向かって歩き始めた。
「ちょっと開封？ああ！待ってよ！！」
フィレーンが開封の後を追ってくる。部屋を出る前に、母に礼を言ったようだった。
開封の後ろをフィレーンが追いかけていた。
開封は特に何も気にせずに墓地に向かって歩き続けた。はやる気持ちを抑えながら。
急いでも仕方がないと繰り返し自分に言い聞かせてはいたが、足は速まるばかりだった。
墓地に着くと、フィレーンが話しかけてきた。
「ねぇ、開封」
「何ですか？」
開封は振り返らずに応えた。
「人に会うんだよね？」
開封は一瞬どう答えるべきが迷った。確かに人に会うのである。開封にとってはそうなのだ。
他の人にとってはそうでなくても。
開封は迷った末、結局自分の見解で答えた。
「そうですよ。」
おそらくフィレーンは不思議に思っているだろう。墓地でラッピングされた花束を持って人に会う。
常識で考えればおかしな話だ。自分の歩調が早くなっているのを感じながら開封は墓石の名前を見ていた。
「ちょっと開・・・・」
フィレーンが声をかけたそのとき、開封は目的の名前を見つけて歩くのをやめた。
そして、その墓石を正面から見据える。しゃがみこんで、その墓に掘られた名前から目を離せなくなっていた。
これが、彼女の墓なのか。
彼女はここに眠っているのか。
彼女は死んでしまったのか。
本当に死んでしまったのか。
わかっていたことを今更痛感させられる。
どこかで、認めていなかった彼女の死を、今墓を目の前にして認めざるを得ない状況にある。
思ったより自分は愚か者だったらしい。墓を見るまで信じていなかった。
こんなのは嘘だ。彼女はどこか違うところで生きているんだ。ここに彼女はいない。違う。
違う。ここにいる。死んでしまった彼女は。これが現実で、受け入れるべき事実だ。
いい加減認めて、大人になろう。どんなに辛くても目の前の現実を受け入れなければ前には進めない。
進もう。前に。過去を過ぎ去ったものにしよう。伝え切れなかった想いを吐き出して、全て終わらせよう。
そのための、この花束だ。
開封は花束を握り締めて、なんとか言葉をつむぎだした。
無理にでも笑おう。彼女に泣き顔なんか見せられない。彼女はきっと、くだらないプライドだと言うだろう。
「でも、男の子ってそんなもんだよね。」と、彼女なら言う。それでいい、笑おう。
花束を静かに差出し、小さな声で話しかける。
「これ、私の気持ちです。本当は、墓前に供えるものではありませんが・・・あのとき言えなかったので、今言いますね・・・」
開封は一呼吸おいて、続けた。
「好きです。今も、これからもずっと。遅くなって申し訳ありませんでした。」
開封は気持ちの整理をつけると立ち上がり、フィレーンの方へ歩いていった。
「もういいの？」
言ったフィレーンに笑いかけ、開封は何も言わずにフィレーンの背を押し、墓の前に押し出した。
「な、何？誰のお墓なの？」
焦るフィレーンに開封は静かに答えた。
「私が中国を出たちょうどその日に、列車事故で死んだ幼馴染です。」
フィレーンに答えてから、墓に声をかける。
「私は今、日本で幸せに生活しています。この人はフィレーンさん。私の親友で・・・まあ、弟みたいなものです。」
フィレーンは困惑したように目をきょときょとさせていた。
「昔は、その・・・辛くて死のうとしたときもありましたけど、もう大丈夫です。いい友人ができましたし。煌のことを忘たりはしません。ちゃんと覚えていて、あなたを好きでいるまま幸せになれる方法を見つけたんです。心配しないで。だから」
話しながら、頬を温かいものが伝っていくのを感じる。
ああ、自分は泣いているんだ。そう実感したとき、開封の頬は自然に緩んでいた。
「やっぱり、くだらないプライドでしたね。」
最後に言おうとした言葉は飲み込んで、開封はそう言って笑った。
フィレーンの肩から手を離し、少し上を向いて、もと来た道へ歩き出す。
「帰りましょうか。」
開封は背を向けたままそう言った。
「・・・うん。」
返事をしたフィレーンに、開封はやわらかい、いつもの笑顔で振り返った。
「墓参りになんて付き合わせて申し訳ありません。」
「いや、いいよ。別に。」
軽く答えて、フィレーンが開封の横に並んだ。
「ありがとうございます。」
「どういたしまして♪」
フィレーンが明るい声で応えた。続いたフィレーンの言葉に開封は首をかしげた。
「開封が結婚しない理由さぁ・・・・前に聞いたとき、僕が誰かを好きになったら教えてくれるって言ったよね？」
「そう・・・・・でしたっけ？」
記憶にないことを言われてなんと答えていいのかわからなくなる。
「あれ、なんかわかっちゃった。」
フィレーンが少し得意げに言った。
「・・・はあ。」
開封は頭の上に疑問符を並べていた。
「だからさ。僕が誰かを好きになって・・・・・ホントにいつになるかわからないけど、恋をしたらさ。その幼馴染の人の話してね。」
フィレーンがニッと笑って開封に言った。
「ええっ？！」
予想外のことに開封は叫んでいた。
「ね。」
そう言って、フィレーンは開封の前を歩き出す。
意味がわからない。
「どういう理屈でそうなるんですか？！」
「ダメ？」
フィレーンは立ち止まり、開封が追いつくのを待つ。
「え・・・・・いえ。」
追いつきかけた開封がフィレーンの半歩後方で減速し、その間隔を保つ。
「じゃ、約束したよ。」
「・・・・・はい。」
フィレーンと開封は墓地の道を開封の家に向かって、のんびり歩いて行った。
晴れた空に開封の疑問は昇華することなく、ただ積もっていった。

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