day9 : sunny day

昨日はあのあと、電車から下りて、タクシーで開封の家まで行った。
開封の家には、開封の母親と父親だけが住んでいるらしかったが、父親の姿は見かけなかった。
開封は母親と何か少しだけ話したようだったが、フィレーンには内容はよくわからなかった。
二人は、そのあと開封の母親の作った夕食を食べ、そのまま同じ部屋で寝ることになった。
フィレーンは、聞きたいことや話したいこともあったのだが、開封は長旅で疲れていたらしく、すぐに寝てしまった。
フィレーンも疲れていたのは自分でわかっていたので、寝ることにしたのだった。

朝、目が覚めると開封はもう部屋にいなかった。
急いで着替えて昨日夕食を食べた食卓へ向かう。
台所には、開封の母親がいて、フィレーンの分の朝食がテーブルに残っていた。
開封の母は、フィレーンに気づくと、笑顔で何か言ったのだが、中国語らしく、フィレーンにはいまいち内容が把握できなかった。
フィレーンは、とりあえず挨拶をして、周りを見回した。
開封を探したのだが、ここにもいないようだった。
開封の母が何か言っていた。なんとなく朝食を食べるように促しているようだったので、フィレーンは朝食を食べ始めた。
開封は何処へ言ったのだろうか。
そんなことを考えながら朝食を口にする。
開封を追ってここまで来たのだが、結局追いついていない気がする。
良く考えてみれば、フィレーンに何も言わずに日本を出たのは、一人で帰りたかったからではないだろうか。
それならば、フィレーンを置いて、何処かへ行ってもおかしくない。
しかし、ここまで来て何もしないのももったいない。何か得て帰らなければならない。
何とか開封を追いかけて、追いつかなければならない。
フィレーンは心の中で、そう強く決心して箸を置いた。
まずは、この開封の母に開封が何処へ行ったのか聞かなければならない。
英語なら通じるだろう。
そう、考えて口を開いたときに玄関から開封の声がした。
帰ってきたらしい。
少しすると、開封が部屋に入ってきた。
「あ、フィレーンさん。起きたんですか。」
「あ、うん。おはよう。」
開封は手に花束を持っていた。
一点の曇りもない白い花。綺麗にラッピングまでされている。
「・・・その花束、何？」
フィレーンに言われて、開封は意表をつかれたような顔をした。
「あ・・・・ああ。これですか？」
開封は花束を見て、少し考え込んだようだった。
短い黙考の後、開封は花束を見たまま小さな声で答えた。
「ある人に、届けようと思いまして・・・」
「誰？」
続いたフィレーンの質問に開封は小さく笑った。そして、その微笑をフィレーンに向ける。
「これから行くので、フィレーンさんも一緒に行きましょうか。」
「え、いいの？！」
一人で行きたいものだと思っていたので、思わぬ誘いにフィレーンは声を大きくした。
が、当の開封はきょとんとしている。
「？いいですよ。たぶん、その方があの人も喜びますし。」
「なななななんで？」
意味がわからずフィレーンが身を乗り出した。
「いえ、なんでと言われても・・・。なんとなく、そんな気がしたからとしか言いようがないのですが。」
開封は少し困った顔をして、そのあと母親に話しかけた。
たぶん、これから出かけることを伝えたのだろう。
「準備ができているなら行きますけど、大丈夫ですか？」
「え、あ、うん。」
本当は顔を洗っていなかったのだが、フィレーンは予想外の事態に咄嗟にそう答えてしまった。
「じゃあ、行きましょうか」
言うと、開封はスタスタと玄関に向かう。
「ちょっと開封？ああ！待ってよ！！」
フィレーンは慌てて開封の後を追う。部屋を出る前に、軽く開封の母に頭を下げて礼を言う。
そして、再び開封を追いかける。
スタスタ歩く開封の後ろをフィレーンが早足で追いかける。
何しろ開封の身長は１８６ｃｍである。対してフィレーンは小学生の頃よりは伸びたとはいえ、その身長差は３０ｃｍ。
歩幅が違う。
フィレーンは開封の後を追いかけながら、いろんなことを考えていた。
あの人というのは誰なのか。何故、一緒に行ってもいいのか。さらには、自分がいると相手が喜ぶ理由。
フィレーンがいて困る場面は考えられても、喜ばれる場面というのは想像しがたい。
しかも、花束を持っていくような相手である。
女の人だろうと思うのだが、一体どんな人なのか。
フィレーンの心は、いわゆる期待と不安でいっぱいな状態だった。
しばらく歩いて着いたのは、どうも墓地のようだった。
「ねぇ、開封」
フィレーンが息を切らせながら、開封に話しかける。
「何ですか？」
振り返らずに開封が応える。
「人に会うんだよね？」
「・・・そうですよ。」
開封はすぐに答えたのだが、フィレーンは小さな沈黙が気になった。
墓参りじゃなくて？
聞こうと思ったのだが、なんとなく声にしにくい。
開封が持っている花束は墓に供えるものでないのは明白だった。
開封の歩調が早くなっている。
フィレーンは小走りになって追いかけていた。
「ちょっと開・・・・」
もう少し、ゆっくり歩いてくれと頼もうと思ったとき、開封の足がぴたりと止まった。
開封は一つの墓石と正面から向かい合っていた。
そこでしゃがむと、その墓石をじっと見つめる。
開封の表情は波のない水面のように静かだった。静かだが、決して穏やかではない。
水面下で、何かが渦を巻いていた。普段の顔を作っている。そんな表情だった。
開封は、しばらくすると疲れた笑顔で、小さな声で一言二言しゃべってから持っていた花束を墓の前に置いた。
フィレーンは何も言えずに、それを眺めていた。
開封にとって、大切な人だったのだろう。それだけは、見ていればわかった。
恋人だったのだろうか。なんとなく、そんなことを考える。
だとしたら、それはどんなに辛いことだろう。
（あ・・・）
フィレーンは２年前のある冬の朝を思い出した。
あのとき、フィレーンは開封にしつこく「彼女はいないのか」と聞いていた。
隣に住んでいた同い年の少女が、知りたがっていたから聞いただけだったのだが、開封に適当にはぐらかされて、結局聞くことはできなかった。
最終的に「結婚しないのか」と聞いたとき、開封は「しない」とだけ答えたのだった。
理由は教えてもらえなかったのだが、もし、これが恋人の墓だったとしたら、結婚しない理由もわかる。
フィレーンがそんなことを考えているうちに、開封の方も済んだらしく立ち上がり、フィレーンの方へ歩いてきた。
「もういいの？」
言ったフィレーンに笑いかけ、開封は何も言わずにフィレーンの背を押し、墓の前に押し出す。
「な、何？誰のお墓なの？」
焦るフィレーンに開封は静か答えた。
「私が中国を出たちょうどその日に、列車事故で死んだ幼馴染です。」
開封はまた墓に向かって何か言っていたようだったが、フィレーンには全くわからなかった。
フィレーンは開封に肩をつかまれ、墓の前に立たされて、何をしたらいいものかと考えている。
知らない人なので、かける言葉も浮かばない。
開封が知らない言葉を話しているからだろうか、目の前の現実が淡く、色あせた世界に見えた。
「？」
突然、頭に冷たいものが当たる。
雨かと思って頭上を見上げると、いい感じの青空が広がっていた。
開封の手がフィレーンの肩から離れ、開封がもと来た道へと歩き出す。
「帰りましょうか。」
開封は背を向けたままそう言った。なんとなく、開封の放つ日本語が懐かしい。
「・・・うん。」
返事をしたフィレーンに、開封はやわらかい、いつもの笑顔で振り返った。
「墓参りになんて付き合わせて申し訳ありません。」
「いや、いいよ。別に。」
軽く答えて、フィレーンは開封の横に並ぶ。
「ありがとうございます。」
「どういたしまして♪」
こっちに来てから、開封が優しかったのは始めてかもしれない。
フィレーンは嬉しくなって、明るい声で応えた。
「開封が結婚しない理由さぁ・・・・前に聞いたとき、僕が誰かを好きになったら教えてくれるって言ったよね？」
「そう・・・・・でしたっけ？」
フィレーンは２年前のことはっきりと思い出していたのだが、開封はあまり記憶にないようだった。
まあ、そんなものなのかもしれない。
開封に彼女がいない理由だとか、結婚しない理由だとかを聞く人間は多いだろう。
フィレーンはここ２，３年一緒にいて、開封がもてることは知っていた。
「あれ、なんかわかっちゃった。」
「・・・はあ。」
開封は頭の上に疑問符を並べていた。
そんな開封に親近感を覚えながらフィレーンは言葉を続ける。
「だからさ。僕が誰かを好きになって・・・・・ホントにいつになるかわからないけど、恋をしたらさ。その幼馴染の人の話してね。」
「ええっ？！」
「ね。」
驚いて、というよりはむしろ焦って、声を上げる開封にフィレーンは笑いかけて少し前を歩いた。
「どういう理屈でそうなるんですか？！」
「ダメ？」
立ち止まり、開封が追いつくのを待つ。
「え・・・・・いえ。」
追いつきかけた開封がひるんで、フィレーンの半歩後方で減速し、その間隔を保つ。
「じゃ、約束したよ。」
「・・・・・はい。」
フィレーンと開封は墓地の道を開封の家に向かって、のんびり歩いて行った。

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