２、気がついて

しばらく歩いていくうちに、辺りはだんだん明るくなり、気温も徐々に上がってきた。
村まで、もうあと数十歩というところで俺は横を歩いていたはずのタチリがいないことに気がついた。
まさか、追っ手が来たのか？いや、それなら俺もとっくにつかまっているはずだ。
タチリだって声をあげないわけがない。
焦って後ろを振り返り、数メートル後ろにタチリを見つけてほっとする。
「どうしたんだよ・・・ッ？タチリ？！」
俺の目の前でよろけて地面に膝を着き、タチリはしゃがみ込んだ。
慌てて駆け寄ると、今まで歩いてきた道に血がぼたぼたと落ちている。
「怪我、してるのか？！」
「逃げるときに・・・ちょっと、かすった。大丈夫。たいした事・・・ない。歩けるよ。」
左足を抑えるタチリの指の間から赤黒い液体とゲル状のものが見えた。
タチリは立とうとして、苦痛に顔をゆがませた。
呼吸も荒い。
俺はタチリの額に手を当てた。
「細菌が入ったんだ。熱がある。・・・無理しちゃダメだ！俺が村まで運ぶよ。」
「肩を貸してくれれば、歩ける。少し休めるところを探そう。」
｢病院にいかないと・・・」
言いかけて俺はタチリにキッと睨みつけられた。
この顔は苦手だ。
「病院は、ダメだ。オレたちには身分証明がない。怪しまれて、警察に連絡されたらどうする？」
「あ・・・。」
「もう、あそこには戻りたくないだろ？」
タチリの言葉に俺は頷くしかなかった。あそこには、戻りたくない。
「それに、たぶん連れ戻されるだけじゃすまない。」
そうだ、あいつらにとって、俺達は実験動物でしかない。
「オレ達は自由を手に入れたんだ。生きなきゃ意味がない。」
生きなきゃ意味がない。
俺はタチリの言葉を反すうして、タチリの腕を自分の肩に回した。
「とりあえず、休んで治療できるところを探そう。」
俺は、そう言って集落へと歩き出した。
「そうしよう。・・・悪いな、キヒト。」
「そういうこと言うなよ。二人で生きてこうって脱走する前に決めたろ。」
「ああ・・・そうだったな。」
俺達は二人で歩いていた。
タチリは左足を引きずりながら、右足で強く地面を踏みしめていた。
俺はタチリを支えながらゆっくりと村に入っていった。

村は、がらんとしていた。時間が早いせいかもしれない。
だが、俺達にとっては好都合だった。あまり人がいると、この怪我は騒ぎになるかもしれなかった。
そうすると、病院か、警察にいくはめになっていた可能性もある。
それは危険だった。
ふと、その時だった。一人の少女が家から出てきたのだ。
少女といっても、俺達と同じぐらいで、たぶん１５，６といったところだろう。
彼女の長い髪は朝日を反射して絹のようにきらめき、滑らかに風に揺れていた。
花の香りがした。
彼女は俺の方をに歩きかけて、そこでやっと俺に気づいた。
いや、違う。俺の担いでいるタチリの傷に気づいた。
ヒッ、と声を上げそうになって、彼女は家に逃げ帰ろうとした。
「待って！」
俺は咄嗟に彼女を呼び止めた。
「休める場所を探してるんです！少しだけでいいから休ませてもらえませんか？あ・・・きれいな水を少しくれるだけでもいい。この傷を、治療したいんです。傷口を洗って、止血ぐらいはしたい。消毒薬があればもっといいけど・・・。」
彼女は家に入りかけた所で足を止め、ゆっくりと振り返った。
「・・・母さんに、聞いてみます。」
言って、彼女は家に入って行った。
俺は家の前まで行って、花の香りの原因を知った。
そこは花屋だった。少しあいた扉から黄色い花が見えた。
花なんて見たのは何年ぶりだろう。あそこには白い土と灰色のコンクリートしかなかった。
枯れ草を見ることはあったが、それなのに何故か生きた雑草すらなかった。
生きているのは人間だけだった。完璧なまでに清潔にされていたため、鼠もゴキブリも、ノミやシラミさえもいなかった。生きているのは子どもだけだった。統制と管理している研究員だか、軍人だかは皆魚が死んだような目をしていた。
子どもの中にさえも統制と管理下に組み込まれ、完全な部品になってしまっているものがいた。
ここは、違うんだ。花がある。花が生きている。土が生きている。家も生きている。村が生きている。
この村は、まだ眠っているのであって死んでいるのではない。
あと、数時間もすると目を覚ます。
「タチリ・・・生きてる。ここは生きてる。すごいよ・・・。」
俺はぼんやりと花屋を眺めていた。無論彼女が出てくるのを待っていたのだが、それ以上にいろんなものが生きているという現実にただ呆然としていた。当たり前だったことなのだが、この数年が完全に俺達を外界から隔離していた。
「タチリ・・・？」
タチリが何も言わないので不思議に思い、タチリの顔を見る。
「！！」
タチリは汗の浮かんだ顔をゆがませ、歯を食いしばっていた。
「あの・・・。」
彼女が家から出てきていた。何か言いかけて、彼女もタチリの様子に驚いたようだった。
「早く中へ。」
彼女の澄んだ瞳が俺の目を見ていた。
俺は頷いてタチリを担いで家の中へとできるだけ足を早めた。

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