３、花

店の奥に行き、居間のソファにタチリを寝かせると俺はそのまま床に座り込んだ。
その間に、彼女は水と救急箱を持ってくる。
まず、水で傷口を洗い、救急箱から消毒薬を出す。
手際よく治療を済ませると、彼女はタチリの額に手を当てそれから解熱剤を飲ませた。
タチリは意識がはっきりしないのか、ただ声を出すのが苦痛なのか小さな声で何か言ったようだったが俺には聞こえなかった。
しばらくするとタチリの呼吸が整ってきた。彼女が奥の部屋から毛布を持ってきてタチリにかけてやる。
「あの・・・・ありがとう。」
「・・・この人が元気になったら、出て行ってくださいよ。」
俺の何年ぶりかわからない「ありがとう」に彼女は少し伏目がちな表情で冷たく返した。
そして、立ち上がり部屋を去ろうとした。俺は立ち上がり慌てて言った。
「あ・・・えと、俺はキヒト。こいつはタチリ。・・君は？」
彼女は振り向かなかった。開けたドアの向こうを見たまま少し間を空けて、それから短く答えた。
「・・・ミル」
言い放って、そのまま足早に部屋を出て行く。
「・・・ミル・・・か。」
聞きなれない響きだ。しかし何故か心地よい。まだ、何も彼女について知らないのに彼女らしい名前だと思った。
何かが俺の中で変わりつつあった。
タチリは眠っていた。長くても、明日には出て行くことになるだろう。
タチリが重症でない限り。
そう長くはいられない。
俺はタチリの眠るその横に座り、ミルが出て行ったドアを眺めていた。

俺は空腹で目を覚ました。
いつの間にか眠っていたらしい。
一瞬、記憶が混乱する。ここは何処だ？俺は何故ここにいる？
部屋を見回して、やっと昨日のことを思い出す。
あの施設から逃げ出し、ずっと道を歩いていた。思い出していくうちに気分が高まっていく。
そうだ！俺達はあの施設から開放されたんだ。自由を手に入れたんだ。坂を上って、この集落に来ることを自分で決めて、そして・・・・。
思考が止まり、はっとする。
「タチリ！」
タチリの眠っていた方を見るとタチリは先に目を覚ましていたらしく、上半身をソファの上に起こしてぼんやりと窓から外を眺めていた。
「・・・・ここは？」
外を眺めたまま、タチリは俺に聞いてきた。
「・・・村に入って・・・どうなったんだ？オレは足が痛んで、だんだん気が遠くなっていって・・・」
「ミルっていう女の子が助けてくれたんだ。家に入れてもらってソファを貸してもらって怪我の治療をしてくれた。ここはその女の子の家の中だよ。」
俺の答えを聞いて、タチリは何かを思い出そうとしているようだった。
「そうだ・・・女の子だ。・・・・あれは、夢じゃなかったのか。」
「大丈夫か？」
タチリの様子が変なので俺はなんだか不安になってきた。
「大丈夫だ。ただ、ちょっと記憶が曖昧で・・・・・・」
そのときだった。俺とタチリの腹の音が同時になった。
俺たちは顔を見合わせた。
「・・・・そういえば、昨日の晩から何も食べてないな。食料はあそこからは持ち出せなかったし。」
タチリが深刻な顔をしてうつむく。確かに、あの施設の中では自分の物なんてなかった。配られる食料を保存の利くものだけでも持ってきたかったが、それすら許されなかった。もちろん金銭などもっていない。
「これから、どうやって生活しようか・・・・。」
俺もうつむき、自分達の無鉄砲さに失望する。
「働くしかないだろう。金がなきゃ生活できない。」
どこで？と、問おうとして俺はある提案を思いついた。
「ここで働こう！ここは花屋なんだ。もしかしたら働かさせてくれるかもしれない。」
俺の提案にタチリは眉をよせた。
「・・・なぁ、キヒト。」
タチリが何か言いかけたときに、ドアが開いた。
振り向くとそこには女の人が立っていた。手にはパンとミルクの乗ったお盆をもっていた。
おそらくミルの母親だろう。
「さあ、お腹がすいたでしょう？たいした物はないけど、よかったら食べて。」
近くの机の上にお盆をおく。
「ありがとうございます。」
俺たちがお礼を言うと、彼女は小さく笑って「どういたしまして」と言った。
俺には温かいその顔がひどくやつれて見えた。
見たところ腕はやせ細っているわけではないのがなんとなく奇妙だ。
「朝はごめんなさいね。手が離せなくて・・・・怪我が治るまでゆっくりしていって。」
俺はミルとこの母親の態度の違いに驚いた。
「あの・・・本当にいいんですか？」
俺の不安そうな顔を見て、母親は何か思い当たる節があったようだった。
「・・・・もしかして、娘が何か言いましたか？」
「・・・いえ。そういう訳では・・・・」
聞いてはいけないことだったのかと思い、俺は慌てて否定した。
「いいんです。先週、夫が亡くなりまして・・・・あの子にとっては父な訳ですけど・・・・。それで少し・・・・すみませんね。ミルが何を言ったかはわかりませんが気にしないで下さい、元気になるまでここにいていいですから。」
「あ・・・・はい。」
それで、この人は疲れた顔をしていたのか・・・・。なんとなく気まずい空気が流れる。
「あ！そうだわ。さっき何か話していたでしょう？聞くつもりはなかったんだけど聞こえてしまって・・・。怪我をしているあなたは無理だけど、よかったら君、ここで働いてくれないかしら？夫のやっていた力仕事がね、私にはちょっと辛くて・・・・お給料も少しなら出せるわ。本当に少しだけど、それでよかったらここで働いてくれないかしら。」
「本当ですか？！ありがとうございます！」
「ええ、じゃあお願いするわね。」
俺は願ってもない申し出に有頂天になっていた。
「俺は・・・あ、僕はキヒト。こっちはタチリ。よろしくお願いします！」
「私はマリー・ハフマン。しばらくの間よろしくね。」
ハフマンさんの笑顔に少しだけ活気が出てきたように見えた。
「仕事の説明は今晩するわね。今日はしっかり食べて、ゆっくり休みなさい。それじゃあ、また夕食のときにね。」
ハフマンさんはそう言って部屋を出て行った。
「いい人でよかったね。これでしばらくは何とかなりそうだ。」
俺は順調にことが進んで上機嫌だったが、タチリは渋い顔をしていた。
「ああ。でも、キヒト。ここには、そう長くはいないんだぞ。」
「わかってるよ。タチリの足が治って、ある程度お金がたまったら出て行くんだろ？」
「・・・・・わかってるなら、いいんだ。」
タチリは下を向いて何か悩んでいるようだった。
「どうかしたの？」
「・・・いや。なんでもない。」
答えたあと少し考え込んで、そのあと急に顔を上げて笑顔をみせる。
「さぁ！食べようか。せっかく持ってきてもらったんだし。」
タチリの取り繕ったような笑顔が心に引っかかった。
だが、そのときはお腹も減っていたのでタチリの言うように昼食をとることにした。

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