５、聞こえて

その日から、ミルは俺達とも普通に話すようになった。
しかし、俺がミルの笑うところを見ることはなかった。
なんてことのない日が一週間続いたある日のことだった。
いつものように、俺は土や植木鉢を運び終えてハフマンさんの仕事を少し手伝い、店内にいるミルとタチリと話でもしようと思っていた。
ドアに手をかけた時のことだった。
女の人の笑い声が聞こえた。
「タチリって面白いのね。」
俺は何故かドアを開けることが出来なった。
くすくすと笑うその人の声は間違いなくミルのものだ。
「どこが面白いんだ？」
少し困ったようなタチリの声。
二人はそのあともなにか楽しそうに談笑していたが、その内容は俺の頭には全く残らなかった。
「あ、オレ水換えてくる。」
バケツを持ち上げ歩いてくる音が耳に入ってくる。
俺はようやく我に返った。
急にとてつもなく悪いことをしてしまったような気になって、俺はそこから逃げなければならないと思った。
その場を離れようとしたその瞬間。ドアが開いた。
「あ」
タチリがバケツを持って立っている。
「どうした？キヒト。もう、仕事終わったのか？」
「え・・・・あ、うん。」
俺はとりあえず頷いて、タチリには気づかれないように横目でミルを見た。
視界の端に捉えたミルの顔は、笑ってはいなかった。
「こっちも、もうちょっとしたら終わるから。オレ、水換えてくるな。」
タチリはそう言って、水場へ歩いていった。
ミルは何も言わずにモップで床を拭いていた。
なんだか嫌な感じがする。
自分の中でもやもやしている何かを振り払おうと、首を振って俺はタチリが最初に運ばれた部屋に向かった。
タチリはミルと何を話していたのだろう。
それが妙に気になった。
ミルの小さな笑い声が頭の中をこだまする。
左から聞こえたと思ったら右から聞こえ、近くで聞こえたと思ったら遠くから聞こえる。
腹の中でぐるぐると汚いものが渦巻いている気がした。
この感情はなんだろう。知らない。知らない感情だ。
気持ち悪い。
「どうしたんだ？」
後ろからタチリの声がした。
「・・・・・・なんでもない。」
タチリと顔を合わせたくなかった。話なんて出来ない。
こんなこと思ったことはなかったのに、今は別の部屋が欲しいと思った。
タチリが邪魔なんて、そんなこと今まで一度もなかったのに。何故か今はそう思っている。
俺の意思に反してタチリは俺の横に座った。
「あの子、変な子だな。」
あの子っていうのはミルのことだろう。変だろうか？俺はそうは思わない。
タチリがミルの話をするとイライラする。
「オレって面白いか？そんなことないよな？」
「さぁ。」
不安になる。
「それにしても、こけたぐらいであんなに笑うことないのに。」
タチリは少し怒ったように言った。
ミルは俺には笑ってくれないよ。
「やっぱり、まだ足がなまってるのかな。」
「タチリ。」
俺は決心した。聴いておかなければならない。
「タチリは・・・・ミルのことをどう思ってるんだ？」
タチリはしゃべるのをやめた。ついでに体も止まる。
俺がゆっくりタチリの方に顔を向けると、タチリは眉を寄せて不思議そうな顔をしていた。
「どうって・・・・・・だから、変な子だなって・・・・どうしたんだよキヒト、なんかいつもと違うぞ。」
「そう・・・」
俺は再び床に向き合った。
俺がいつもと違う？そうだ。確かに違う。
それはわかるが、何故なのかはわからなかった。
「・・・・悪いけど、一人にしてくれないか？」
俺の言葉に、タチリは一瞬戸惑ったらしく動かなかった。が、その後静かに部屋を出て行った。

俺は一体どうしなってしまったんだろう。
タチリにあんなことを言うなんて。
やめよう。もう、考えるのをやめよう。今日の俺はどうかしているんだ。
そうさ、たぶんそうだ。
一晩寝れば元に戻る。また、タチリと普通に顔を会わせて普通に話せるようになる。
きっとそうだ。
そうなんだ。
まだ、昼にもなっていないのに眠りたかった。
眠ってしまいたかった。

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