７、別れて

銃声がしてから数時間が経った。
ミルは今、ハフマンさんの部屋で一人で泣いている。

俺があの事を言った直後は、やはり信じられなかったらしくミルはハフマンさんの部屋に行こうとした。
俺は引きとめようとしたが、それもあまり長くはもたなかった。
結局、10分ほどで俺が折れてしまい、ミルと一緒にハフマンさんの部屋に行くことになった。
タチリは部屋の血をふき取り終えたところだった。
タチリはミルの姿を見ると肩をおろし、首を横に振って大きなため息をついた。
ミルはタチリを押しのけてハフマンさんに駆け寄った。
続いて俺もハフマンさんの寝ているベッドに近づいた。
額に穴が開いていた。
ミルはしばらくハフマンさんに声をかけたりしていたが、やがてその声も小さくなり、泣き声に変わった。
タチリはそんなミルを背に黙って部屋を出て行った。

俺は部屋から漏れるミルの泣き声を悲痛な思いで聞いていた。
俺とタチリは、最初にミルに案内してもらいタチリを寝かせた部屋にいた。
俺はタチリに聞きたいことが山ほどあった。
だが、いつ、何から切り出していいものか迷っていた。
「なぁ、キヒト。」
迷っているうちに、タチリが話しかけてきた。
「何？」
このときの俺はどんなにそっけなかっただろう。
タチリは少し間をおいてから話を続けた。
「・・・やっぱり、ここを出よう。」
俺は耳を疑った。そして、次の瞬間には叫んでいた。
「ここを出るだって？！何言ってるんだよ！こっちは聞きたいことが山ほどあるし、なんでハフマンさんを撃ったのかわかんんないし、俺達が出て行ったらミルは一人になるんだ！」
「独りの方がまだマシだろうよ。それに、母親を殺した奴を家においておきたくはないだろ。」
タチリは淡々としていた。
「なら、タチリだけ出て行けばいいだろ！」
反射的に叫んだあと、俺は後悔した。
タチリの表情に浮かんでいたのは驚きと憎しみと孤独感だった。
だが、ここまで来たらもう引くわけにはいかない。
「俺はミルを独りになんてできない。放っておけないんだ。」
俺はこのときにやっと気づいた。
俺がミルのことをどう思っていたのか、何故ミルとタチリが楽しそうにしゃべっていた時気持ち悪かったのか。
「俺はミルのことが好きなんだ！」
タチリは俺の言葉に顔をしかめただけで驚きはしなかった。
「知ってる。だから、ここを出ようと言っているんだ。お前のためにも、あの子のためにも。」
俺はタチリが何を言いたいのかわからなかった。
「何言ってるんだ？」
「オレ達は普通の人間とは違うんだ。一緒に暮らすなんて無理な話だったんだ。」
「？」
「オレがハフマンさんを殺した理由だって？殺してくれって言われたんだよ。」
タチリは俺の目をまっすぐにみつめて、しかし、俺の反応を待たずに話し続けた。
「ハフマンさんはおかしくなっていたんだ。」
俺はタチリが何を言っているのかわからなかった。
「何でもいい。手近にいるモノを殺したくてしかたなくなってたのさ。」
「・・・・なんで・・・・」
「誰にだってあるだろ？目障りな蚊を叩きつぶしたくなることが。それが大きくなっただけさ。」
俺は何も言えなくなった。タチリの目があまりに真剣だったからだろうか。それとも、あまりに話が突飛だったからだろうか。それはわからなかった。
タチリは決して叫んだり大きな声を出しているわけではなかった。
ただ、威圧感はあった。
「そういう薬みたいなものなんだよ・・・・・・・・」
タチリはそこで一旦言葉を切った。いや、言葉に詰まった。
口を「お」の形に開けたまま数秒止まり、そのあとに初めて俺から目をそらした。
「・・・・・・オレ達・・・・が、あの施設で実験されていたのは、そういう薬みたいなものを人間から発することができるようにすることだったんだ。」
「なんで、そんなこと・・・・」
俺はやっとの思いで、その短い一言を吐いた。
タチリの肩が震えていた。
「・・・・・・オレ達・・・をうまく敵軍に送りこめば勝手に同士討ちしてくれるだろ？お前は字が読めなかったから知らなかっただろうけど・・・・」
「じゃあ、なんで俺とタチリは大丈夫なんだよ。」
俺は自分の声が震えていることに気づいた。
「薬ってのは、長く使い続けると効かなくなるもんだろ。これでわかったか？オレ達はここにいちゃいけないんだ。」
タチリの言うことが嘘なのか本当なのか、俺にはわからなかった。
施設の中にいたときからずっと一緒にいた親友。一緒に脱走した。一緒に夢を語った。一緒に働いた。
信じられるはずだ。タチリはこんな嘘はつかない。
これは真実であるはずだ。
俺は確かにそう思っていた。
だが、その逆の考えも隅っこにあった。
タチリは俺を利用していただけなのではないか。
ハフマンさんを殺したのには全く違う理由があるのではないか。
本当は俺がミルを好きなことが気に食わないのではないか。
本当にタチリを信用していいのか。
「な、キヒト。一緒にここを出よう。」
タチリの声は優しかった。懇願するようでもあった。

それが酷く卑しく聞こえた。

「嫌だ。」
俺は短く冷淡な言葉をタチリに投げつけた。
「俺はここに残る。出て行きたいなら独りで行けよ。」
これが決定打となったようだった。タチリの顔はみるみる鬼のようになっていった。
「ああ出て行くさ！勝手にさせてもらうよ。どうなっても知らないからな！」
タチリは急に叫んだ。耳が痛いほどだった。
踵を返し、部屋を出て行こうとする。
俺はそれを見ていた。
が、タチリはドアの前で立ち止まった。
「オレは明日の朝４時に出発する。・・・もし・・・・もしも、気が変わったら・・・・・・その時間に門の前で会おう。」
俺は何も答える気はなかった。
沈黙の後、タチリは「じゃあな」と言って部屋を出た行った。
さっきまで聞こえていなかった、ミルのすすり泣く声がまた聞こえてきた。
その日はもうタチリと会わなかった。
ミルの傍に行ったが、慰めるかたを知らない俺にはどうすることもできず、ただ泣いているミルを見ていることしかできなかった。
ただ、ミルを見ていて思ったのは、彼女を独りにはできないということと、やはりさっきの選択は間違っていなかったということだった。
夕方になり食事を勧めたが、ミルは首を横に振るばかりで何も口にせず泣いたり泣き止んだりを繰り返していた。
タチリはどこにいるのかわからなかったが、たまに気配を感じた。
とても長い一日だった。

次の日の朝。目が覚めると、もう６時だった。
ハフマンさんも死んで、仕事もどうしていいのかわからなかったから、なんとなく寝過ごしてしまったらしかった。
ミルは泣きつかれたのかまだ眠っているようだった。
タチリの荷物がなかった。
俺は家中を探したが、タチリはどこにもいなかった。
俺は門の外まで出て行った。朝日の下の道には人っ子一人いなかった。

タチリは、まるで初めから存在しなかったかのように跡形もなく消えてしまった。

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