８、追われて

タチリは何処にもいなかった。
ソファの上にあの拳銃が置いてあった。
何か、妙な不快感と不安感があった。
いや、俺は間違った選択なんてしていない。これで良かったんだ。
自分に言い聞かせて食卓へ向かう。
ミルがテーブルに突っ伏していた。テーブルの上にはパンが４つ用意されていた。
カップも４つあった。
「母さん」
ミルが突っ伏したまま発した声に俺はビクリとした。
「起きてこないね・・・・・」
続いたミルの言葉に、俺は全ての言葉を失った気がした。
「タチリも来ないね」
胃の入り口を締められたような気分になる。
ミルは顔を上げた。目は泣き腫らしたままで、髪が顔に張り付いていた。
「みんな、どこに行ったの？」
その視線の先には何もなかった。
誰に聞いたわけでもないのだろう。しかし、ミルは答えを待っていた。
俺にはそう見えた。
言おうか迷ったが、いずれわかることなのでタチリのことは言うことにした。
「タチリは・・・・・出て行ったよ。今朝。」
「何で？」
ミルはすぐに聞いてきた。しかし、決して俺の方を見ようとはしなかった。
「ここにはいられないって言ってた。・・・・ハフマンさんのこともあるし。」
「母さんがどうしたの？」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
俺は答えられなかった。ミルはもしかしてハフマンさんが死んだことを受け入れられていないのだろうか。
「母さんが死んだこととタチリに何の関係があるの？」
「何の関係って・・・・」
「母さんは自殺したのよ。理由はわからないけど。」
俺の言葉をさえぎってミルはハッキリとそう言った。
「え？」
「母さんは、自分で死にたくなって死んだのよ。タチリとは関係ないわ。」
「だってタチリは自分がハフマンさんを殺したって・・・」
「そんなわけないじゃない。何言ってるの？」
「で、でも・・・」
「タチリには母さんを殺す理由がないもの。」
ミルがあまりに当然のように言うので、俺は段々自分の言っていたことに自信がなくなってきた。
「タチリは出て行く必要なんてないのよ。」
ミルは一体誰と話しているのだろう。不意にそれが気になった。
「なんで、あなたなの？」
ミルが顔をこちらに向けた。
「？」
俺にはミルが言いたいことがわからなかった。
「なんでタチリが出て行って、あなたがここに残っているの？」
「俺は・・・・」
「私はタチリにいて欲しかったのよ！！」
ミルの声が部屋に響いた。
ミルは立ち上がり、俺を睨みつけていた。
わけがわからなかった。
ミルは震える手を後ろに伸ばし、その先のキッチンにおいてある包丁を手に取った。
俺は自分の足が自然と後ろに動いていくのに気づいた。
恐怖。確かに俺は恐怖を感じていた。
ミルは俺を睨みつけたまま、包丁を両手で構えた。
それが見えるか見えないかという頃には、俺はその部屋から逃げ出していた。

俺は何が何だかわからないまま、あのソファーのある部屋に戻り、急いで必要なものをかき集め家を飛び出した。
店頭に並んでいるはずの花が皆引きちぎられ、床にぶちまけられていた。
ミルがやったのだろうか。何がミルを変えてしまったのだろうか。
母をなくしたショックだろうか。独りになったという孤独感だろうか。
それとも、タチリの言ったように俺達から発生しているという例の薬の影響なのだろうか。
俺は走った。頭の中をいろいろな考えがぐるぐる回っていた。
殺される。ミルに殺される。なんで？ミルは狂ってしまった。ミルも狂ってしまった。俺のせい？逃げて、逃げなきゃ。殺される。怖い。ハフマンさん。花が。ぐちゃぐちゃに。ミルが。助けて。タチリ！怖い。殺される。
走っていくと海が見えた。
逃げ場がない！俺は振り返った。
ミルが包丁を持って、追ってきていた。
逃げないと・・・・・。
思って、再び前を向こうとしたときだった。
「あ！」
俺は自分の足につまづいて地面に叩きつけられた。
骨盤の右側が痛かった。何が硬いものがあたったらしい。
そうだ。俺はソファの上から・・・・・・。
ズボンの右ポケットからあの拳銃が出てきた。
俺は振り返りながら、上体をおこし、また走り始める。右手に拳銃を持って。
ミルは、もうそこまで来ていた。
距離を詰められたからか、走るのをやめ、じりじりと俺を追い詰めていく。
俺はもう崖まで来ていた。
観念してミルのほうに向き直る。
ミルの息が上がっているのは目に見えて明らかだった。
走って疲れているのもすぐにわかった。
だがしかし、その瞳の奥にある「怒り」らしい感情は衰えることはなく、包丁は相変わらず俺に向けられていた。

このままじゃ、殺される。

俺は死にたくなかった。
俺に残された選択肢はもうなかった。
死にたくなかったから、右手に持っていた拳銃を両手で構え・・・・震える銃口をミルに向けた。

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