day1: end & start

午後七時。２DKアパートのダイニングキッチンに一人の少年と一人の男がいた。
少年はイギリス人である母親譲りの金色の前髪の隙間から覗く淡いブルーの瞳で、キッチンで夕食を作っている男をまっすぐに見ていた。
男はそんなことは気にせずに材料を慣れた手つきで切っていた。身長が高いために、キッチンが低くて使いにくい。
もう、慣れたことではあるが最近は腰に負担がかかっているような気がして仕方がなかった。
サラサラとした黒い髪に黒い瞳。会社から帰ってきてすぐに夕食を作り始めたのでワイシャツの袖をまくり、上からエプロンをする格好になってしまった。ワイシャツが汚れるよりはいいという判断なのだろう。
二人とも端整な顔立ちだが、少年の方が少し目つきがキツイ。
「開封。僕、学校やめる。」
少年が言った。男の名は開封（カイフォン）と言うらしい。
「はぁッ？！」
開封は手を止めて振り返った。少年はまっすぐに開封を見ていた。
「ちょ・・・ちょっと待ってください、フィレーンさん。もう一回言ってもらえますか？」
「学校やめる。」
少年----フィレーンは、聞き間違えのないほどにはっきりと言った。
開封はしばらく動きを止めて頭の中でその言葉をリピートしてみた。
「えっと・・・・学校をやめる・・・・？」
開封が聞き返すとフィレーンは力強く頷いた。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・はぁッ？！や、やめるって、中学校をですか？！！」
「うむ、期待以上のリアクションをありがとう開封。正確には今行っている私立中学を退学して公立中学に通う。」
長い間のあと叫んだ開封に、フィレーンはいつものように平然と返した。
「何でまたそんな事を・・・・」
「説明すると長くなるから、とりあえず夕食作って。学校から直接ここに来たから何も食べてないしお腹へってるんだ。・・・・あ、冷蔵庫の中のプリンは勝手に食べたけど別に良かったよね。」
前半はため息混じりに聞いていた開封がプリンと聞いて慌てて冷蔵庫の中を確認する。
「全部・・・・食べたんですか？」
顔が引きつっているのを見て、フィレーンは不思議に思った。
開封がプリンごときで動揺するわけがない。が、とにかく素直に答える。
「うん。２つほど見つけたから食べた。」
開封は冷蔵庫を閉めて苦い顔をした。
「・・・・まずいですね。」
「どうかしたの？」
「いえ・・・・まぁ、今さらどうしようもないことですから。ただ、タツが来たら覚悟しておいた方がいいですよ。」
フィレーンの顔が青ざめる。
「あれ・・・野上のだったの。・・・まずいね。・・・ん？でも最近来ないだろ？」
「いやぁ、今日は来ますよ。確実に。どうしましょうか・・・私としては早めに帰るのをお勧めします。」
フィレーンは少し考えて、ふとした疑問を感じた。
「あのさ、僕が学校やめるよりも野上のプリンがないことの方が重大なのっておかしくないか？」
「え？でも公立中学には行くんでしょう？だったら別にいいじゃないですか。」
「いや、うん。そうだね。いいんだけど、理由とか気にならないの？」
「気にはなりますけど、長くなるならまた今度にしましょう。今日のタツはイライラしているでしょうから怒らせると相当怖いですよ。私、なだめられる自信ありませんし。」
かなり真剣な顔で言う開封にフィレーンは若干の恐怖を覚えた。本気でヤバイのかもしれない。
「えと、せっかくネタとして考えてきたのでこういう披露の仕方は嫌なんだけどこの際いいや。」
フィレーンの言葉に開封が不思議そうな顔をした。
「ネタ？」
そんな開封は無視してフィレーンが続ける。
「そう、あれは忘れもしない小学校３年生の時だった・・・・・中略。と、いう訳で霞ヶ浦雫が本当にマジでしつこいのでいい加減死にたくなりそうな感じだし、あの学校やめる。以上。」
「・・・・・・・。ネタ・・・ですか。」
「だから、こういう披露の仕方は嫌だって言ったんだ！！」
フィレーンが泣きそうな顔で言い訳をする。
「嫌ならやめましょうよ。私もどうツッコんでいいのかすごい困りました。」
「うう、正論を言われるともっと惨めな気持ちになるし・・・。」
「いえ、そんなこと言われても・・・・・。」
「何やってんだ？お前ら。」
半ばあきれた声が廊下に続くドアの方から聞こえた。
二人はおそるおそるそちらを向いた。
「よう、開封。案の定来てやったぞ。酒出して、酒。」
気楽に言ってきたのは多少くせのある黒髪にネクタイを緩めた背広姿の男だった。
野上である。
開封が怪訝な顔をしていた。
「あの・・・・タツ。私、鍵、閉めてましたよね？」
「あ？ああ、閉まってたぜ。」
開封は嫌な予感がしたが、意を決して聞いてみた。
「・・・・・じゃあ、どうやって入って来たんですか？」
野上が一瞬止まる。そして、待ってましたとばかりにニヤリとした。
「開封。世の中にはな、合鍵ってものがあるんだよ。」
と、ポケットから鍵を出す。
「それぐらい知っています。・・・けど、何故あなたが持っているのですか？私はフィレーンさんにしか渡していませんし、それ以上合鍵を作った記憶もありませんよ。」
野上は相変わらず勝ち誇ったような笑みを浮かべている。
「そりゃそうだろ。だって、フィレーンから借りて作ったんだから。自腹だぜ、自腹。」
「返してください。」
開封が明らかに怒りをこめて言った。
「返すってのはおかしいだろ。俺の金で作ったんだから。」
「そういう問題ではないでしょう。私の家の鍵なんですよ。無断でそういうことしないで下さい。」
「ったく、男の癖に合鍵一個増えたぐらいで怒るなよ。」
開封が本気で怒っているのがわからないのか、それともわざとか野上は真面目に相手にする気はなさそうだ。
「男も女もないでしょう！確かに女性の部屋の合鍵勝手に作る方が酷いですけど、自分の部屋の合鍵持っている人が二人も三人もいたら気持ち悪いでしょう！しかも自分の知らないうちに。」
ここまで言われても尚、野上はひょうひょうとしていた。
「いや、別に俺は気にしないぜ。それより開封。三人ってどういうことだ？他にいるのか？！」
「言葉のあやです！」
開封が叫んだが、野上は一向に反省する気配はなかった。
「なんだ。びっくりした・・・・開封に彼女できたのかと思った。あーマジでビビッた。良かったー違うのか。」
「・・・・・ううっ・・・。誰か・・・誰か一般常識のある人をここに連れてきて・・・。」
野上の台詞の終わる頃には開封は頭を抱えて泣きそうになっていた。
「あ、ごめんごめん。今日ちょっと本気でイライラしてるからさ・・・返すわ。ごめん。」
ははっ、と軽く笑って野上は鍵を開封に渡した。
開封は少しだけ立ち直って、鍵を受け取る。
タグがついていた。なんとなく見てみる。
　　『愛鍵ｖ』
開封は完全に沈黙した。野上が笑い出す。
「はははははっ！いや、ホントごめん！だってさ、やってみたくなるでしょ、これは。思いついたとき絶対やってみるべきだと思ったんだけど・・・・・だめ？」
開封がゆっくりと頭を上げた。
「・・・そぉいう冗談はあなたの恋人にでもしてあげてください。」
「そ・・・・」
野上が一瞬固まった。
「そんな恥ずかしいこと出来るか！！」
そして耳が痛いほどに叫ぶ。
「あのさぁ・・・・」
二人に完全においていかれているフィレーンが口を開いた。
「ぼ、僕・・・もう帰っていい？」
野上のプリンを食べたことが発覚する前に逃げなければならない。
フィレーンにはさしていつもと違うようには見えないが、開封が言うのだから野上はイライラしているのだろう。
殴られたりしたらたまったものではない。
「いや、ちょっと待て。」
野上の声にビクリとする。
「お前、なんか大事な話をしてただろう。」
いきなり真顔に戻ったので、フィレーンは心底ヤバイと思った。冷や汗が頬を伝う。
「学校やめるとか何とか。」
「なんだ、そっちかぁ・・・・」
フィレーンは安心して息を吐いた。
「そっちって何だ？まだ他にあるのか？」
どうやら、プリンの件に関しては聞いていなかったらしい。
「いや、何でもない。うん、学校やめるんだ。それで公立中学いく。」
「いじめられるんじゃねーの？お前性格悪いし。」
フィレーンの決意のこもった言葉に、野上はさらりと恐ろしいことを述べた。
「・・・・・・・・・・野上ほどじゃないよ。」
フィレーンは反撃を試みた。
「馬鹿かお前。俺ぐらいになれば怖がって誰もいじめたり出来ないんだよ。」
「・・・・・。」
開封は言いたいこともあったが、それを言うと野上に怒られそうなので言わないことにした。
「そんなことよりもだな。俺のいとこが割と近所の中学に通ってるんだが、そこに行ったらどうだ？って話なんだが、どうだ？」
野上のいきなりの提案にフィレーンは眉を寄せた。
「どこ？」
「まぁ、ちょっと田舎になるけどそっちの方が校風が穏やかでいいだろ。」
「そうかもしれないけど・・・・・で、なんて学校？」
野上が意味もなく一拍おいてニヤリとした。
「陽南中学。」

それが、フィレーンの新たな学校生活の幕開けだった。

[day1: end & start]END

＋＋＋幕間1＋＋＋
next day→day2: イトコ