day10：ゼンヤサイ（ツヅキ）

谷口はいつもの調子で生徒会室に戻ってきた。
「お疲れ～どうだった？」
坂本は楽しそうにヒラヒラと手を振っている。
「誰もいないとわかっていても女子トイレに入るのはやっぱり気が引けますね。」
「ははー。さすが谷口君。ズレた答え返してくるね。」
坂本は笑って、机をバシバシと叩いた。
「ところで坂本さん。蝋燭が・・・・」
「じゃ、河崎くん。行ってらっしゃい！」
谷口が何か言いかけたのをさえぎって、坂本は洋介を立たせると蝋燭に火をつけ持たせて廊下に押し出した。
「ま・・・・マジで行くんですか？」
完全に生気の無い顔をした洋介が、焦点も定まらないまま坂本に聞いた。
「あたり前じゃない、私も谷口君も行ったし。」
洋介は蝋燭の火を眺めていた。
「・・・・・・・ですよね。」
力なく言った洋介は下を向いていたので坂本が不適な笑みを浮かべたことに気づかなかった。
「うん。いってらっしゃい。」
「はい・・・・・」
静かに返事をして洋介は生徒会室を離れていく。
「あの・・・・・」
洋介が去ってから、谷口が後ろから恐る恐る坂本に声をかけた。
「なに？」
振り返った坂本は、明らかにたくらみが成功した顔をしていた。
「トイレの奥の蝋燭って・・・・僕が持ってきたので最後だった気がするんですけど・・・・・」
「ああ。たぶん、そのはずよ。」
「は？」
「誰が1本しか持って帰ってきちゃダメって言ったかしら？」
坂本のスカートのポケットから、坂本が火をつけて持って返ってきた蝋燭とは別の蝋燭が出てきた。
谷口が暫し唖然とする。
「鬼ですか、あなたは。」
「ふふん♪小悪魔と呼んでもらえるとありがたいわ。」
坂本はいたずらっぽい笑みを浮かべていた。
「いや、むしろ鬼神でしょう。」
平然と谷口が返したので、坂本の笑顔は引きつりそのまま固まる。
「で、どうするんですか？」
ため息とともに谷口が吐き出した声に坂本はいつもの調子に戻り、生徒会室においてある懐中電灯を手に取った。
「これを持って、河崎くんの後をこっそりつけます。」
「そんなことだろうと思いましたよ。じゃ、行きますか。」
坂本が頷くと、二人は生徒会室を出て、洋介の通った廊下をゆっくりと歩き始めた。

一方こちらは一人びくびくと歩いている洋介。
全神経を外に向け、どんなわずかな音も動きも見逃すまいとしていた。
夜の学校はこれでもかというほど静まり返り、自分の足音しか聞こえない。
動くものも、自分と自分の影、そして歩くごとにゆれる蝋燭の火ぐらいなものである。
「何もいない何もいないいるわけない。いてもあれだよ、ゴキブリとかそういう虫だって。うん。あとコウモリ。糞とかよく落ちてるしね。コウモリ見た人はいっぱいいるもんね。だから、怖くない。」
洋介は一人でぶつぶつ言いながら自己暗示でなんとかこの場を乗り切ろうとしていた。
階段を一段一段昇り、やっとこのことで4階までたどり着く。
階段からトイレまで、まっすぐな廊下が続いている。
ヒタヒタという自分の足音が嫌だ。自分の足音なのに廊下で反響して自分以外の誰かが後ろから歩いてきている気がしてならない。
怖いし、振り返りたくなるのだが、振り返るのも何かいたら嫌なので怖くて出来ない。
「何もいない何もいない何もいない・・・・・」
自分が立ち止まれば足音もなくなる。
「・・・・やっぱり、俺の足音だよねぇ。」
息を吐いて、再び歩き出す。
女子トイレの前にはすぐに着いた。
洋介はつばを飲み、決心をつけ女子トイレに足を踏み入れた。
良く考えてみれば女子トイレに入ることなど、まずない。
掃除のときでも、女子が男子トイレに入ってくることがあっても男子が女子トイレに入ることはそうない。
めったに出来ない経験をしたということで、なんとか気分を明るい方へ持っていこうとする。
女子トイレは個室が並び、廊下と違い見えない部分が多いので余計に怖い。
それでも、ここまで来たのだからと我慢してトイレの奥へと進む。
窓が見えた。あそこに蝋燭があるはずである。
たどり着き、自分の小さな蝋燭をかざす。
「ええと・・・・・」
洋介はしゃがんで床を照らす。
「ちょっと待ってよ・・・・」
段々気が焦ってくる。顔に汗がにじんできた。
「嘘だろぉ・・・・」
もう一度立ち上がり窓の縁を見る。
冷や汗が頬を伝った。
「なんで？」
なんで蝋燭がないんだ？？？？
そんなはずは無いのである。ここに蝋燭があるはずで、新しい蝋燭がないと帰るとき真っ暗中帰らなければならない上に、ここまで来た証拠がないことになる。
洋介は何度も窓際とその周辺の床を調べた。
が、いくら探しても見つからない。全身から汗が噴き出してきていた。
「ろ・・・ろうそく・・・・なんでないんだよ。畜生。ありえねぇ。」
恐怖を紛らわすためにいちいち思ったことを声に出している自分をどこかで自嘲しながら洋介は必死に床を這いまわっていた。
「何処行った。蝋燭。ってか、もういい加減この蝋燭もなくなっちゃうし・・・・何処いったんだよー蝋燭・・・」
声に泣きが入ってきた。
「これ？」
のんきな声がして洋介の目の前に蝋燭が差し出された。
間違いなく蝋燭である。
「あったぁ！よかった、ありがと！」
洋介はすかさず蝋燭を手に取ると、もう燃え尽きようとしていた自分の蝋燭から火を移した。
「ホントありがと、コレないと鬼のような先輩にいびられるとこだったんだよマジで！」
洋介は煌々と輝く蝋燭を両手で持って立ち上がり蝋燭を渡してくれた人に礼を言った。
「・・・・・て・・・・・・・・へ？」
洋介の頭に一つの疑念が浮かんだ。
ここに自分以外の人間がいる？
「あのさ、君なんでこんな時間に・・・・」
言いながら渡されたほうに蝋燭の火を向ける。

誰もいなかった。

「あれ？」
首をかしげ、洋介は自分の周りをぐるっと見回した。
と、洋介に一筋の光が当たる。
まぶしさに一瞬目を閉じる。うっすらと目を開けるとトイレの入り口のところに坂本と谷口が懐中電灯を持って立っていた。
「だれが鬼のような先輩ですって？」
坂本はどう見てもご立腹であった。
しかし、そんな恐怖よりも洋介にとっては他の人に会えたことが嬉しかった。
こんな人でもいるだけで、意外と安心感があるものらしい。
「ちょッ・・・・もーやめてくださいよ。ほんとに。マジでビビったんですから・・・」
どうやら蝋燭を渡したのは坂本だったらしい。
「そんなことどうでもいいから、鬼のような先輩って誰のことよ？」
本気で怒っているらしい。
「いや・・・あれは、その・・・・」
なんとか言い訳を探すが見つからない。
「ふーん。もう、いいわ。河崎くんなんか放って置いて、谷口君一緒に帰ろうか。」
「ああ！そんなこと言わないでくださいよ！」
坂本はサクサクと歩いて谷口を引っ張り、トイレから出て行く。
洋介は慌てて二人の後を追ってトイレを出た。
トイレから出ると、坂本はもう、階段を下りるところだった。谷口は坂本に引っ張られている。
「ちょっと待ってくださいよ！」
洋介は走って追いかけようとして、蝋燭の火が揺れて消えそうになっていることに気づき少し減速した。
どんどん先に行ってしまう二人を追いかけ、洋介はやっと生徒会室にたどり着いた。
二人はもう帰る準備を済ませていた。
「何？一緒に帰るの？早くしなさいよ。」
「はい！」
洋介は返事をすると手に持っていた蝋燭の火を消して机の上におくと鞄を引っつかんだ。
「あれ？」
と、機嫌を損ねていた坂本から不思議な声が漏れた。
坂本はじっと洋介の置いた蝋燭を見ている。
「どうかしましたか？」
谷口が近づくと坂本は顔を上げた。
「河崎くん。この蝋燭どうしたの？」
「は？会長が渡してくれたやつですけど？」
洋介が鞄を肩にかけながら答えた。坂本は腕を組んで真剣な顔をしている。
そしてスカートのポケットから一本の使っていない蝋燭を取り出す。
洋介が持って帰ってくるはずだった蝋燭である。
そして、ポケットから出した蝋燭と洋介が持って返ってきた蝋燭を比較する。
「・・・・・違う蝋燭よね。」
「そうですね。」
坂本が眉間にしわを寄せじっと二本を見つめている。
谷口は同意すると考え込んだ。
坂本が出したのは100円均一で売っている、良く見る少し透明感のある白い蝋燭である。
一方洋介が持って返ってきたのは、透明感の無い白い蝋燭。サイズはそう変わらない。
暗かったため気づかなかった。
「坂本さんではない・・・・・・・・・・と。」
谷口の言葉に洋介の顔が引きつった。
「谷口君でもない・・・・・・・と。」
続く坂本の言葉に洋介の顔はさらに引きつった。
「あそこに蝋燭があるわけないのよね。で、河崎くんは女子生徒に渡されたと言っている。」
「誰かいたんですかね？」
坂本が言ったことに、谷口がとんでもない疑問を返す。
「いるわけないわよね。」
スッパリと言い切って、坂本は天井に目をやる。意味は無い、ただ少し考え込んだだけである。
「ま、いいか！さ、帰ろ帰ろ。」
数秒でその結論を出し、坂本は生徒会室を出た。
続いて谷口も廊下にでる。
「え・・・・・ええ？！ちょっと待ってくださいよ！どういうことですか？！！」
慌てて洋介も廊下に飛び出す。
「河崎くん。電気。」
飛び出した途端に坂本に言われて洋介は生徒会室に電気を消しに戻った。
洋介がスイッチを押そうと手を伸ばし、スイッチに触れる直前。フッと電気が消えた。
「あれ？」
洋介が首をかしげる。
「何やってるの、消したらさっさっと鍵閉めて帰るわよ。」
廊下から坂本の声がしたので洋介は大きな疑問を残したまま生徒会室を出た。
坂本が鍵を閉め、三人で職員室へ鍵を返しに行く。
「さっき・・・・俺が電気消す前に消えたんですけど・・・・」
「8時になったし、先生が勝手に切ったんじゃない？」
「はぁ・・・・」
坂本の答えに、洋介は釈然としないまま頷いていた。
暖かな職員室の明かりが三人の後ろにやんわりとした影を作り出していた。

この学校に怪談話は一つも無い。

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