day6:幕間

前に訪れたのはちょうど2年ほど前だっただろうか。
そのときは、酷く無機質で生活感の欠片もない部屋だったのを覚えている。
部屋にあったのは、確かベッド、机、椅子、冷蔵庫、タンス。
どれも整然とおかれていて、使っている雰囲気はなかった。
冷蔵庫の中にはビールの缶が2本と１０００ｍｌの牛乳があった。
流しにあったのはガラスコップが一つ。
生ごみはおろか、カップめんの残骸もなかった。
別に、その部屋の住人が驚くほど几帳面なわけでも、潔癖症だったわけでもない。
その証拠に、キッチンのコンロには埃が溜まっていたし、彼の職場のデスクの上は乱雑であった。引き出しの中も。
彼に言わせれば、この配置が一番使い勝手がいいらしいのだが、開封には信じられなかった。
彼の部屋は、風呂に入って、寝て、朝起きて着替えるためだけにあったらしかった。
「ずいぶん変わりましたねぇ・・・・」
2年前とは全く違う部屋の様子に開封は感心していた。
「そうか？」
部屋の持ち主である野上は何てこともなさそうに言った。
「そうかって・・・・・だって前に来たときは、何もなかったじゃないですか。」
開封にしてはめずらしい口を半開きにしたアホ面を見て、野上は噴き出した。
「いや、何もないってことはないだろ・・・ってか、お前その顔面白い。」
ぶぁはは、と声に出して笑う。
「そんなに笑うことないでしょう！！」
今度は怒った開封を見て、それはそれで面白かったので野上は笑った。
「何笑ってるの？」
ひょこっと別の部屋から顔をだしたのは野上の婚約者、上村美咲だった。
「開封の顔が面白くてさぁ」
「面白くありません！まったく・・・・でも、上村さん。よくここまで変えられましたね。」
野上の発言を即座に否定して、開封は笑顔で上村に話しかけた。
「そうですか？・・・・・あ、でも始めて私がこの部屋に来たときのこと考えれば、確かに変わりましたね。」
上村が言ったのだが、野上は「そうかぁ？」と言って自覚はないようだった。
今、この部屋は生活感のある整頓された空間になっている。
洗濯機や食器、なべなど、さまざまなものが増えた。
ベランダに洗濯物が干されている。
「変わったなんてもんじゃありませんよ。昔は本当に人が住んでるのか疑われるような場所だったんですから。」
開封が感心してもう一度部屋を見渡した。
「そうか？でも、キレイだっただろ。」
何もわかっていない野上に開封が呆れ顔を向けた。
「綺麗すぎて生活感がないって言ってるんです。」
「そうだったか？俺、よく覚えてないわ。」
そんな会話を交わす二人を見て、上村はクスクスと笑っていた。
野上に「座れよ」と言われて、開封はソファに座る。
目の前のテーブルには吸殻のない灰皿がおいてある。
野上は開封の隣に座った。
「煙草、まだやめられそうにありませんか？」
開封に言われて、野上は苦笑した。
「もうちょいかな・・・。式までには絶対やめる。」
「『俺ほどタバコの似合う男はいない』とか豪語していたタツは何処に行ったんでしょうね。」
言って、開封がニヤリと笑った。
「うるせーよ」
野上は恥ずかしいのか顔を背け、口元に手を当てる。
開封が野上から聞いた話では、キスした後に「煙草のにおいがする」と、彼女に嫌な顔をされたらしい。
それが相当ショックだったらしく、野上はそれ以来煙草をやめるために尽力を注いでいる。
「何の話？」
上村が二人分のお茶を持って後ろから話に入ってきた。
「ッ？！いや、別に・・・・」
野上が焦っている姿に開封の顔が自然とほころぶ。
上村が首をかしげ、なんとなく釈然としないままにお茶を開封と野上の前に置く。
「ゆっくりしていって下さいね、この人なんだか最近落ち着きがないですけど。」
「そんなことねぇよ。」
お茶を置くと、上村は開封にそう言い、それを野上が即座に否定した。
「そうですか。じゃあ、私はいない方がいいみたいだから買い物に行ってきますね。」
上村は野上に静かに微笑んで一度台所に戻ると、それから玄関に向かった。
野上と開封は玄関に行くまで、そっと上村を眺めていた。
玄関から出て行く前に上村は一度振り返り野上に声をかける。
「あ、波さんに失礼のないようにね！」
「俺はガキか！！」
言った上村に言い返して、野上は舌打ちをした。
「っくそ。」
開封が口元を隠して笑いをこらえていた。それを見て野上が開封を睨みつける。
「・・・・・・・そんなにおかしいか？おい。」
「いや、だって・・・・恋人同士というよりは、その・・・・・」
野上がじっと見ているのが、またおかしかったらしく、開封はついに噴き出してしまった。
「何がおかしいのか言えよ！それ、すげームカツクぞ！！」
「すみまっ・・・・せん・・・いえ、笑うつもりはなかったんですが・・・なんていうか、二人が・・・・」
そして再び笑い出す。
野上は立ち上がって、笑い続ける開封の襟首をつかんだ。
「な・に・が・お・か・し・い・ん・だ？」
野上が殴ったりしないことを知っている開封は特におびえるでもなく言葉の続きを吐き出した。
「なんとなく母子のようだなぁと・・・・」
「誰が子どもだ！！」
耳元で大声を出されて、開封は耳をふさいだ。
「いやぁ・・・・それよりも、気付いてるんじゃないですか？上村さん。」
開封の言葉に、野上の手が緩んだ。
「・・・・かなぁ？俺もなんとなくそんな気はするんだけど。」
「タツは隠し事が下手ですから。いっそ話してしまったほうがいいんじゃないですか？」
野上は開封から手を離し、ソファに座りなおした。
開封も襟を整えてから野上の隣に座る。
「とは言ってもなぁ・・・・誕生日何が欲しいとか聞くわけにもいかないし。」
考え込んだ野上は見ずに開封は天井に向かってため息をついた。
「今更、なんだっていいと思いますけど。」
「今だから、大事なんだろ！」
がばっと、開封に向けた野上の顔を真剣そのものだった。
「で、来年もまた『今だから大事』って言うんでしょう？」
開封が呆れ顔で放った言葉に、野上は一瞬動きを止めた。
「毎年そう言って私に相談するつもりですか？」
「いや・・・・だって、他に相談する人がいないから・・・・」
小さくなっていく野上に開封は頭を抱えたい気分だった。
「いい加減、自分で考えて選んだ物に自信を持ってくださいよ。」
「こういうこと意外なら結構自信あるんだけどなぁ・・・」
ブツブツ言っている野上を見てから、開封は天井を見上げた。
特に意味はないが、　何かを思い出すときはついこうしてしまう。
去年、一昨年は何をプレゼントしたのだったか思い出し、なんともベタな贈り物をしたものだと思う。
とはいえ、開封には彼女がいたことなどない。贈り物もしたことはない。
野上は彼女はいたが、それまで付き合ったことのある女性は欲しいものを誕生日の前に言う人だったらしい。
上村にしてみれば、野上からのプレゼントなら何でもうれしいに違いなかった。
この不器用な男が懸命に考えて、不器用なりに照れ隠しなどしながら渡すのだから、それ自体が面白いといえば面白い。
上村はそれで十分喜んでいる。それは開封にも見て取れた。
それにしても、野上はいつまでプレゼントすることを恥ずかしがっているつもりなのだろうか。
開封は、お茶を一口飲んで上村のことを考えた。
野上の話では、ほとんど毎日といっていいほど野上のマンションで家事をしているらしい。
仕事もあるのに、よくもまあこんな男の世話をする気力があるものだと開封は感心していた。
考えてみれば、開封も数年前似たようなことをしていたが、世話をする相手は小学生（フィレーンだ）だったのでなんとなく諦めもついた。
「・・・・料理でもしてあげたらどうですか？」
開封はなんとなくそんなことを言ってみた。
いつも家事の手伝いをしない子どもが、母の日にしそうだ。などと勝手に思いながら野上の方を見る。
野上はキョトンとしていた。
「俺が？」
「あなた以外の誰がやるんですか。」
若干投げやりな口調の開封に、野上は自分の右手人差し指を突きつけた。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。帰っていいですか？」
しばしの沈黙のあとの開封の質問に、野上はフルフルと首を横に振った。
「でも俺、調理実習以来料理なんてしてない。」
「レシピを見れば大体できますよ。」
「包丁ですら何年も触ってないし。」
「別に高度な技術は要求しません。」
「ccとかmlとかもう、全然わからんし。」
「１ccが１mlです。1000mlが１リットル。すぐに覚えられます。」
「いや、その・・・」
野上は、開封の視線が冷たくなっていくのをヒシヒシと肌で感じていた。
「好きな人のために、ちょっと頑張ってみようとか思わないんですか？」
「俺、頑張るとか努力するとか、そういう類のことはちょっと・・・・」
開封が立ち上がった。
「もういいです。勝手にしてください。私は帰りますから、どうぞご自由に独りで考えてください。」
野上が慌てて開封の腕をつかむが、開封の歩みは止まらない。
「お、おい！ちょっと待てよ！！」
「知りません。どーでもいいですよ、『野上さん』の好きにしたらいいでしょう。あー上村さんが可哀想ですねー！」
「いや、ちょっ・・・わかったよ！頑張るよ、努力しますって！だからその・・・」
開封が歩くのをやめ、野上の方を向いた。
「だから・・・なんですか？」
野上が、気まずそうに開封の顔色をうかがう。
「・・・・・手伝って・・・・・」
開封はいつになく弱気な野上を眺めてから答えた。
「・・・・・・わかりました。」

一方、上村はというと、野上と開封のことを気にしながらも、近所のスーパーで明日の朝食のメニューを考えていた。
（また、私の誕生日のプレゼントで悩んでるんだろうなぁ、別になくてもいいんだけど。・・・ま、いいか）
卵とベーコンが安かったので、上村は次の日の朝食はベーコンエッグにすることに決めたのだった。

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