day7: one day

夏休みも半ばに差し掛かった頃だった。
フィレーンはいつものように開封の家に遊びに来ていた。
開封の仕事が終わるころを見計らって訪れ、夕飯をご馳走になって帰るのがいつものパターンだ。

ガチャン

いつもは（フィレーンが来ることを知っているため）鍵が開いたままになっているのだが、今日は何故か鍵がかかっている。
フィレーンは不思議に思いながら開封から貰っている合鍵を使い、中に入った。
「開封ー？」
声をかけるが返事がない。
室内は驚くほど静まり返っていて、しかも暗い。
単純に蛍光灯がついていないというのもあったが、今の時間この暗さはおかしい。
玄関の電気をつけて奥に入り、リビングに入ってみてやっと暗さの理由がわかった。
雨戸が閉まっている。
「夜逃げでもしたのかな？」
とんでもない冗談を一人つぶやいてから、フィレーンはダイニングへ向かった。
ダイニングの電気もつけ、食卓の上に置かれた書置きに気づく。
「？」
なんてことのないメモ用紙に、ボールペンで几帳面な字が書かれている。
フィレーンはそれを手に取り、首をかしげた。
「なんだこれ？」

書置きの内容はだいたいこんな感じだった。
まず第一に、開封はちょっと長い旅行に行っているということ。
第二に、何か食べたかったら、冷凍庫の中に冷凍食品があるから適当に食べても良いということ。
冷蔵庫にはプリンもはいっているらしかったが、それはどうでもいいことだった。
開封が旅行に行く。そんなことは、フィレーンが知る限り社員旅行以外にはなかった。
フィレーンと開封が関わり始めた5年前、フィレーンが小学4年生の頃から、開封は一度だって旅行らしい旅行をしたことはなかった。
別に行ったらいけなわけでも何でもないのだが、フィレーンにとっては、開封が旅行に行ったことが驚きであり、ショックでもあった。
書置きを何度も読み返すが、さっきと同じ情報しか得られなかった。
何処に行ったのかも、何日で帰ってくるのかも書かれていない。
フィレーンはそこまで考えて、そんなこと自分にわざわざ報告する必要はないのだということに気づいた。
（・・・・・何か・・・・気になる。）
開封が何も言わずに、これだけの書置きしか残さずに旅行に行ったというのが、酷く不可解だった。
フィレーンは、とりあえず自分の携帯を取り出し、開封の携帯電話にかけてみる。
しばしの呼び出し音のあと、流れてきたのは淡々とした音声案内の女性の声だった。
電源が入っていないか、電波の届かないところにいるらしい。
使えない。
こうなってしまうと、どうしても知りたくなるのが人間というものだ。
開封宅の電話の前においてあるアドレス帳をめくり、野上の電話番号を調べてかける。
受話器は7，8回呼び出し音を繰り返した後、気だるい声を吐き出した。
『・・・・・はい』
野上だ。
「あ、野上。僕、フィレーンだけど・・・開封何処行ったか知らない？」
『・・・・・・・・』
受話器は押し黙ったまま、野上の声の代わりに野上の心情を流し出す。
『・・・・そりゃ、知ってるけど。』
「何処に行ったの？」
『聞いてどうするんだよ？』
聞き返されて、フィレーンの思考は一旦停止した。
そうだ。そういえば、聞いてどうするのだろう。
そのことは考えていなかった。
「追いかける。」
思考とは関係なく、口は勝手に動いていた。
『は？』
間の抜けた声で野上が聞き返した。
「追いかける。」
『追いかけてどうすんだよ？』
「いや・・・・なんとなく言ってみただけ。」
『・・・・・お前。頭大丈夫か？』
野上にしては珍しく心底心配したような声だった。
誰？受話器の奥の方から女性の声がした。野上の彼女・・・・もとい婚約者だ。
『ん？ああ、フィレーンだよ。』
フィレーンに聴こえることなど、まったく気にせずに野上が応える。
「大丈夫だと思うよ。」
『ん？』
「頭。」
『・・・・・・・』
また沈黙だ。
次の一言に、フィレーンは自分の耳を疑った。
『中国』
「へ？」
『開封が行ったの。中国だよ。』
「中国地方じゃなくて・・・・？」
『中国。中華人民共和国。チャイナ。』
これでもかというほどに、野上がゆっくりと言う。
「・・・・・・・」
『中国のどこかまでは知らないけど、多分実家だろ？悪いけどこれ以上は本当に知らないからな。』
「・・・そっか、ありがと。じゃあね。」
フィレーンは短くそういうと、野上の反応も待たずに受話器を下ろした。
「・・・・中国か・・・」
一人蛍光灯の明かりの中でつぶやいてから、フィレーンは冷蔵庫を開けてプリンを取り出した。
引き出しからスプーンを取り出し、プリンを黙々と食べる。
そして、スプーンとプリンの入っていたプラスチックカップを洗い、水気をとってからスプーンを元の位置に戻す。
プリンのカップはどうしようかと思ったのだが、とりあえずその辺のコンビニのゴミ箱に捨てることにした。
いつ帰ってくるかわからない開封の家の台所においておくのは、虫が湧きそうで怖い。
フィレーンは電気を消して、玄関へ向かう。
玄関の電気を消して、ドアを閉め、鍵をかける。
そして、家に帰って、中国に行く準備をすることにした。

金とパスポート。そして、多少の着替えを用意してフィレーンは家を出た。
こんなに何も考えずに動いたのは家出したとき以来だ。
いや、家出したときの方がまだ計画性があった。
その家出のときに会社の社員データから得た開封のデータにも実家の住所は書いていなかった。
あの広大な中国のどの地方かすらわからない。開封に追いつけるわけがない。
会えたら、それこそ奇跡だ。
会える可能性は限りなくゼロに等しい。
（なんなら観光だけして帰ったっていいか）
フィレーンはそんな気持ちでいた。
電車に乗り、国際空港へ向かう。流れゆく景色は母に会いに行くときのいつもの風景と変わらない。
開封は何をしに帰ったのだろうか。
ふと、それが気になった。何年も帰っていなった開封が、急に帰ろうと思った理由とは何なんだろう。
いや、違う。
フィレーンは気づいた。
今まで帰らなかった理由はなんだ？
普通、実家には年に一度くらい帰るものだろう。
結婚して家庭があるならともかく、一人身の開封が盆にも正月にも家に帰らなかった理由はなんだ？
盆が中国にあるかどうかは知らないが、正月があるのは間違いない。
何故帰らなかったのか。帰れなかったのだろうか。有給休暇もたまっているのに？
一人暮らしで無駄遣いもしない開封には貯金だって結構ある。
経済的、物理的な理由は思いつかない。
となると、精神的な問題だろうか。だが、親と喧嘩なんて、開封の性格的に考えにくい。
フィレーンには開封が家に帰れなかった理由は思いつかなかった。
どれもしっくりこない。
そして、しっくりこないまま、フィレーンは飛行機に乗った。
（会って聞く以外ないか・・・・）
結局、結論はそこに行き着き、フィレーンは中国に行ってからどうするかを考え始めた。
会える可能性があるのは交通の要所だろう。
開封が家を出たのは、おそらく今朝か、今日の昼だ。
帰りにくい理由があるのなら、まっすぐ家に帰っていない可能性もある。
どこかの駅で待っていれば会えるかもしれない。
（向こうに着くの、夜か・・・・）
出る前に、家に住み込みで働いているお手伝いさんが気づいてくれてよかった。
空港の近くの父親の会社の施設になんとか泊まることができたのだ。
たぶん、彼女が気づいてくれなかったら、今晩は路頭に迷うことになっていただろう。
家を出るときに見せた、彼女の少し寂しそうな顔を思い出す。
いってらっしゃいませ。と言った彼女の表情は家出したときと同じだった。
フィレーンのする、我侭やとんでもないことに、彼女は反対しなかった。
そういう指示をされているのか、彼女自身の考えがあってそうしているのかは知らない。
だが、いつも助けられているのには違いなかった。
彼女の顔を思い出すと、なんだか家に帰らないといけない気がしてくる。
別に帰って来た時笑顔で迎えてくれるわけでもないのだが・・・。
彼女の姿が小さくなり、自分の家も小さくなっていく。
上から眺めているようなそんな情景が目の前に広がり、フィレーンは眠りについた。

[day7:one day]END

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